江戸時代
長崎県松浦郡志佐村の地図

- 天保年間創業・祖川真兵衛総本家の歴史
1830年代
初代・祖川真兵衛
江戸時代、船宿を作ったのが始まりと言われております。
元平田醤油屋辺りに3軒の宿が有り。その一つを運営していたらしいです。
安政3年3月17日忌日
二代目・祖川兵作
戸籍を調べてみると、「大石家」「池家」と親戚だったようです。
大正6年2月13日忌日
三代目・祖川徳五郎
この時代は、まだ長崎県北松浦郡志佐村でした。
大正9年6月28日忌日
四代目・祖川俊作
明治43年10月10日、長崎県松浦市に鶴屋旅館設立。
昭和61年1月17日忌日
五代目・祖川一郎
松浦市では唯一の日本観光連盟でした。一郎さんの兄弟きょうこさんがハワイ金刀比羅神社・大宰府天満宮に嫁いでます。
昭和58年10月30日忌日
六代目・山口正善
創業時から増築を重ね歴史とともに建物も古くなり、改装が必要と判断し、割烹旅館鶴屋・和風れすとらんの店舗改装を決断。
この頃から松浦で初めて鰻料理をはじめ人気メニューとなる。
先代のお弟子さん「中村友文氏・中村健吾氏・中村勇氏」のおかげで続けてこれたのだと思います。
現在
七代目・祖川真一郎
2021年・炭焼きうなぎ鶴屋として営業。うなぎ百選会にも選ばれてましたが一旦閉店。
2025年・場所を福岡に移し飲食店だけではなく、WEB関係・通信販売業として営業。




祖川一郎の兄弟、祖川きょうこが嫁いだ所です。
ハワイ金刀比羅神社・ハワイ太宰府天満宮
アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島ホノルル市

歴史
- 1920年(大正9年)、ハワイ在留邦人漁師を中心に布哇金刀比羅神社を鎮祭。
- 1921年(大正10年)11月13日、キング街ウォルターレーンに社殿形式の神社を建立。
- 1930年(昭和5年)
- 8月、白崎八幡宮を相殿に勧請する。
- 10月、大瀧神社を相殿に勧請する。
- 1932年(昭和7年)1月27日、現在地に移転。
- 1941年(昭和16年)12月7日、真珠湾攻撃が始まると第3代宮司磯部節は抑留される。
- 1943年(昭和18年)11月、磯部節は日本に帰国。
- 1950年(昭和25年)5月18日、敵国財産として没収された神社の敷地回復訴訟で勝訴す。
- 1952年(昭和27年)7月24日、福岡の太宰府天満宮を勧請。
- その後、ホノルルのパラマ稲荷神社・海津見神社・水天宮を合祀。
- 1986年(昭和61年)11月2日、新社殿竣工。
- 1990年(平成2年)1月14日、総会で現社名に改める。[1]
本土の合祀は日本政府の1村1社という国家統制から成されたが、ハワイでは戦後再建できなかった神社がオアフ島だけでも23社あり、そうした神社の祭神を合祀している。

