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一般社団法人祖川真兵衛総本家

HISTORY

江戸時代
長崎県松浦郡志佐村の地図

  • 天保年間創業・祖川真兵衛総本家の歴史
1830年代
初代・祖川真兵衛

祖川家の歴史は、1830年代(天保年間)、長崎県松浦市の港町より始まりました。

初代・祖川真兵衛は、海上交易や漁業が盛んであった港町において、船宿「鶴屋」を創業いたしました。

当時の船宿は単なる宿泊施設ではありません。

漁師、船乗り、商人、旅人たちが集い、情報を交換し、商談を行い、人と人とを結ぶ拠点でもありました。

「人とのご縁を大切にする」
「良いものを届ける」
「挑戦を恐れない」

この精神は、祖川家の商いの原点として受け継がれていきます。

安政3年3月17日忌日
二代目・祖川兵作

初代・祖川真兵衛の志を継ぎ、二代目・祖川兵作へ。

戸籍を遡る中で、祖川家は 大石家、池家との親戚関係 が確認されており、地域社会との深い結び付きの中で歩んできたことが分かっています。

時代の変化と共に家族・親族・地域が支え合いながら商いを継承し、祖川家の礎は次世代へと受け継がれていきました。

大正6年2月13日忌日
三代目・祖川徳五郎

三代目・祖川徳五郎の時代、現在の松浦市中心部はまだ 「長崎県北松浦郡志佐村」 と呼ばれていました。

志佐村は海に開かれた地域であり、漁業・海運・商いによって支えられてきた土地です。後に町制・市制を経て、現在の松浦市へと発展していきます。

時代が大きく移り変わる中でも、祖川家は地域との結び付きを大切にしながら、その歩みを続けていきました。

大正9年6月28日忌日
四代目・祖川俊作

明治43年(1910年)10月10日。

四代目・祖川俊作は、北松浦郡志佐村において 「鶴屋旅館」 を設立いたしました。

天保年間に初代・祖川真兵衛が始めた船宿「鶴屋」は、時代の変化と共に発展し、旅館として新たな歩みを始めます。

鶴屋旅館は、地域の人々、旅人、商人、漁業関係者を迎え入れ、人と人とを結ぶ場所として受け継がれていきました。

祖川家の商いは、

船宿から旅館へ。

そして、人を迎え、支える精神は変わることなく受け継がれていきます。

昭和61年1月17日忌日
五代目・祖川一郎

五代目・祖川一郎の時代、鶴屋旅館は地域を代表する旅館として歩みを進め、日本観光連盟にも選出されるなど、高い評価を受ける旅館 へと成長しました。

祖川家が代々大切にしてきた 「人を迎え、人を結ぶ」 精神は、この時代にも受け継がれていきます。

また、一郎の兄弟である祖川京子 は、漁師から転身した伊佐よしのぶ氏のハワイ金刀比羅神社・ハワイ太宰府天満宮に嫁ぎ、祖川家の歴史は海を越えハワイへと広がりました。

ハワイの Hawaii Kotohira Jinsha – Hawaii Dazaifu Tenmangu に嫁ぎ、祖川家は日本のみならず海外の日系社会ともご縁を結ぶこととなりました。

長崎から始まった祖川家の歩みは、海を越え、ハワイへと広がっていきます。

昭和58年10月30日忌日
六代目・山口正善

割烹旅館鶴屋・和風れすとらんへ

六代目・山口正善の時代。

創業以来、幾度もの増築を重ねてきた鶴屋旅館は、長い歴史と共に建物の老朽化も進みました。

先代は未来を見据え、大きな決断を下します。

割烹旅館鶴屋・和風れすとらんへの店舗改装。

旅館としての歴史を守りながら、新しい時代へ歩みを進めました。

この頃より、松浦では先駆けとなる 鰻料理 の提供を開始。

鰻料理は多くのお客様に親しまれ、鶴屋を代表する人気メニューとなりました。

しかし、その歩みは家族だけではありませんでした。

先代を支えた料理人、

  • 中村友文氏
  • 中村健吾氏
  • 中村勇氏

三名のお弟子様の存在。

その支えがあったからこそ、鶴屋の暖簾と味は受け継がれてきたのだと考えております。

祖川家の歴史は、一族だけでなく、多くの方々とのご縁によって紡がれてきました。

現在
七代目・祖川真一郎

現代において祖川家は七代目・祖川真一郎へ受け継がれています。

一般社団法人祖川真兵衛総本家を設立し、伝統を受け継ぎながら新たな挑戦を続けています。

船宿「鶴屋」より始まった商い。

旅館、割烹、地域文化、そして人とのご縁。

その精神は約190年の時を超え、現代へ受け継がれています。

祖川一郎の兄弟、祖川きょうこが嫁いだ所です。
ハワイ金刀比羅神社・ハワイ太宰府天満宮
アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島ホノルル

http://www.e-shrine.org/home.html

歴史

  • 1920年大正9年)、ハワイ在留邦人漁師を中心に布哇金刀比羅神社を鎮祭。
  • 1921年(大正10年)11月13日、キング街ウォルターレーンに社殿形式の神社を建立。
  • 1930年昭和5年)
    • 8月、白崎八幡宮を相殿に勧請する。
    • 10月、大瀧神社を相殿に勧請する。
  • 1932年(昭和7年)1月27日、現在地に移転。
  • 1941年(昭和16年)12月7日、真珠湾攻撃が始まると第3代宮司磯部節は抑留される。
  • 1943年(昭和18年)11月、磯部節は日本に帰国。
  • 1950年(昭和25年)5月18日、敵国財産として没収された神社の敷地回復訴訟で勝訴す。
  • 1952年(昭和27年)7月24日、福岡の太宰府天満宮を勧請。
  • その後、ホノルルのパラマ稲荷神社・海津見神社・水天宮を合祀。
  • 1986年(昭和61年)11月2日、新社殿竣工。
  • 1990年平成2年)1月14日、総会で現社名に改める。[1]

本土の合祀は日本政府の1村1社という国家統制から成されたが、ハワイでは戦後再建できなかった神社がオアフ島だけでも23社あり、そうした神社の祭神を合祀している。

090-1196-1155